占星術の発祥については諸説あります。
メソポタミア文明とする説が有力ですが、
その他にも、エジプト、インド、ギリシャにおいても存在していたとされています。
エジプト占星術の方が歴史が長いのでは、という説もあったりします。
今回はメソポタミア文明を中心に発展していった
西洋占星術に主眼を置きつつ、
占星術の歴史について、時系列に従って簡潔にご紹介します。
目次
紀元前2000年頃 メソポタミア南部で発生
紀元前2000年頃のメソポタミア文明において、占星術が始まったとされています。
楔形文字に星占いの形跡があったことから判明したようです。
この時代は「古代バビロニア時代」と呼ばれており、
現代のイラン周辺に文明が栄えていました。
文明ができ、その土地を居住地として定住生活が始まったことから、
「季節を測る」為に天体観測をしていたと言われています。
天体の動きや配置によって、
作物の収穫時期や天候のパターンを予測することで
農業活動を調整していたのですね。
他にも、「未来の予測」にも使用されました。
特に、王政の補佐に使用されたと言われています。
この頃の占星術は未発達で、
天体の星の動きが正確に測れませんでした。
その為、地上で何か重大な事件が起こった時などの天体の位置を観測し
吉・不吉を占っていたようです。
例えば、日食の日に王家にとって不吉なことが起こったから、
日食は不吉な日と考える、といったものです。
紀元前1900年頃 古代バビロニア
占星術が発展し、様々な自然現象を星で予兆していました。
この発展には、「カルデア人」と呼ばれる人々が関わっているとされています。
カルデア人は元々遊牧民だったのですが、バビロニアに定住し、天文学や占星術を大きく発展させました。
具体的には、
・一月は新月から始まり、次の新月までを1ヶ月として観測を基準に設定される。
・太陽と月の周期を組み合わせた暦が設定される
・「黄道」を考え出し、黄道十二宮が設定される(十二星座の元になっている)。
など、現代にも受け継がれているような概念を数々生み出しています。
似たような概念はエジプト文明においても生み出されています。
紀元前4000年〜紀元前3000年 エジプト占星術
エジプト占星術の起源は定かではありませんが、
紀元前4000年〜紀元前3000年に遡るという説があります。
古代エジプトでは、
7月頃に太陽が昇る直前に、東の空にシリウスが見え始めると、
「ナイル川の洪水」が始まると予測されていました。
それに合わせて、農作の計画を立てていたのですね。
紀元前2000年頃には、
太陽の周期を中心とした「太陽暦」が誕生しました。
地球が太陽の周りを一周する時間(約365日)を1年としたのですね。
紀元前1000年〜紀元前500年 インド占星術
インドにおいても占星術(ジョーティシュ)が発展していたと言われています。
起源は定かではありませんが、古代の文献研究から
およそ紀元前1000年から紀元前500年の間に発展したと言われています。
インド占星術は、天文学や数学、哲学、宗教などの
複数の分野を総合的に組み合わせたアプローチをとっており、
宗教的観念や哲学的概念も重視されます。
紀元前4世紀 ギリシャ占星術
ギリシャの哲学者や天文学者は、メソポタミアの天文学の知識を学び、
それらを自らの哲学的な観点や、宗教的な信念と結び付けて解釈しました。
天体の運行や星座の配置に神秘的な意味を見出し、
それを個人の運命や社会の出来事の解釈に利用しました。
紀元前330年頃 ヘレニズム時代
「アレクサンドロス大王」がギリシャを統一し、
エジプト、バビロニア、ペルシャを含む近隣の地域を征服しました。
エジプト、バビロニア、ペルシャの間では
それぞれ異なる形での占星術、天文学が存在しましたが、
マケドニア(今のギリシャ)の支配によって
融合される形になり、さらに広まっていきました。
「ヘレニズム時代」の始まりです。
ヘレニズム時代には、ギリシャ文化と東洋の文化が相互に影響し合い、
科学、哲学、文学、美術などの多くの分野で研究が進歩しました。
特に、エジプトのアレクサンドリア図書館などの研究期間が
重要な役割を果たしたとされています。
そうした中で、
占星術は現代の占星術のルーツともいうべき、
「ヘレニズム占星術」へと発展していきました。
ヘレニズム占星術は
古代メソポタミアやエジプト、インドでの占星術などの影響を受けながら、
ギリシャの哲学や天文学の観点を取り入れました。
プラトンによる惑星の神性、
アリストテレスの地球中心のコスモロジー、
ストア派の宿命論など、
より深く学術的研究に使われたと言われています。
また、数多くの占星術に関するテキストが執筆され、
教育にも使われました。
紀元前100年頃 ホロスコープ占星術の確立
ヘレニズム文化が栄える中で、
初めて「ホロスコープ」を本格的に用いる占星術が誕生しました。
出生時の星々の位置から個人の星位図をトレースする、
現代にも伝わる星座の概念です。
紀元前30年頃
占星術は宮廷にて、政治的な意図で使われていました。
占星術師は次期皇帝になる人物を予言するなど、重要な役割を与えられる一方で、
民衆をいたずらに扇動する恐れがあるとして、
追放令が出されることも多かったとされています。
紀元前1世紀末〜1世紀初頭 ローマ帝国の誕生 占星術の衰退
マケドニアやギリシャを含む地中海世界を
カエサルなどのローマの指導者たちが統一しました。
ローマ帝国の誕生です。
その後、312年に「コンスタンティヌス帝」がキリスト教に改宗してから、
ローマ帝国はキリスト教化しました。
そして、キリスト教は公認の宗教となり、
教会による反占星術の態度が強まっていきます。
キリスト教と占星術の対立については諸説あります。
反キリスト教の勢力が占星術と結びつき、
教会への大きな脅威に成りかねないとか、
神以外のものが未来を予測できるはずがない
という考えによるもの
とされています。
のちに、占星術は表舞台から消されてしまいました。
14世紀 ルネサンス 文芸復興の時期に占星術も復活
ヨーロッパの学者によって、
アラビア語、ギリシャ語の占星術に関する
多くの著作がラテン語へと翻訳されました。
そして、イタリア、フランスで現代の大学の礎が誕生し、
占星術も教育科目として組み込まれました。
それまでの間、占星術の知識はアラビア語やサンスクリット語に翻訳され、
インドやアラブ諸国に引き継がれていたと考えられています。
長年、表舞台から退いていた占星術が
「ルネサンス」によってようやく学問として
再注目されることとなったのです。
17世紀 地動説の誕生
「地動説」で知られる「コペルニクス」を代表とする科学者たちによって、
人類の宇宙観は一変しました。
それまで絶対の真理とされていた天動説に対して
180度見方を変えた地動説は、
当時の占星術の基盤を揺るがすものでした。
当時の占星術は地球を中心にみていたので、
太陽を中心とした地動説の見方とは相容れないものだったのです。
その後、相対性理論や量子力学などの新たな理論が提唱され、
科学的な発見や理論が普及していきました。
それによって、占星術は一般的な信仰や実践からは次第に遠ざかり、
主に娯楽などの対象として扱われるようになっていきます。
19世紀〜20世紀
現代占星術の父と言われる
「アラン・レオ」という占星術者により、占星術は近代化されます。
近代科学や心理学の影響を受けて、
運勢や性格をみるだけではなく、
思考ツールとして占星術を活用する動きが高まったのです。
まとめ
占星術の発祥と、現代に至るまでの大まかな流れをご紹介しました。
占星術は古代バビロニアにて、
天候の予測や王家の未来を予測する目的で使われ始めました。
その間、エジプト、ギリシャ、インドにおいても占星術は独自に発展しており、
紀元前330年頃、アレクサンドロス大王によってマケドニアに統一されたことから
周辺諸国や東方諸国との文化交流が盛んになり、ヘレニズム占星術として発展しました。
この頃にホロスコープ占星術が誕生します。
312年頃からローマ帝国がキリスト教化していく中で、
キリスト教と対立していた占星術は衰退します。
14世紀のルネサンスを契機に、占星術は再び表舞台に返り咲き、
学術的研究にも用いられますが、
17世紀頃の科学革命の時期に「地動説」が確立することにより、
学術的価値を損ない、またしても衰退してしまいます。
19世紀〜20世紀にはアラン・レオの登場により、現代占星術が発展し、
宿命論だけではなく、人間の思考や生活に根ざしたものとして
再び注目を集めることとなりました。
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